高橋真梨子の病気はガン?病状は?夫と乗り越えた壮絶人生

高橋真梨子の画像病気

☆この記事はこのような人におすすめです。

・歌手・高橋真梨子が患った病気がガンなのか知りたい。

・現在の病状や激痩せした理由を知りたい。

・高橋真梨子の夫や両親について知りたい。

 

高橋真梨子は戦後の広島でひとり娘として生まれ、孤独な幼少期を過ごしています。

 

父親が病気で亡くなったり、母親との確執が生じたりと、壮絶な生い立ちを経験。

 

そんな高橋真梨子にとって、歌が唯一の支えになっていたのです。

 

ところが、47歳の時に病気で激痩せ。

 

ただし、病名はガンではなく、重度の更年期障害を患ってしまったのです。

 

それでも、高橋真梨子には夫婦一緒に病気を乗り越えていこうとする姿があり、例え極限状態になっても、歌い続けようとしました。

 

その甲斐あって、現在の病状は音楽活動も再開できるまでに回復。

 

そこで今回は、高橋真梨子の壮絶な人生を振り返ってみようと思います。

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高橋真梨子の病気はガン?病状は?

歌手の高橋真梨子は47歳の時、突然コンサートの最中に歌えなくなったといいます。

 

その後も、「めまい」や「手足のしびれ」といった病状に襲われ、ろくに外にも出られなくなってしまったとか。

 

それでも何とか病院を受診し、診断してもらった結果、ガンではなく重度の更年期障害だったことが判明。

 

さらに高橋真梨子は突如襲ってきた更年期障害が原因で、その後もっと苦しむことになります。

 

高橋真梨子は当時の苦しかった状況をこのように説明しているのです。

「仕事が生きがいでしたので…仕事ができなくなるんじゃないか、激痩せして生きていけなくなるんじゃないか…」

 

夫のヘンリー氏も、「夫婦で一緒にいて、初めて、助けを求められた。」と語っています。

 

その後の高橋真梨子は病気が原因で、ぼんやりとふさぎ込む毎日。

 

うつ状態が続いたことが心配で、「一時も離れられなかった」と夫は当時を振り返ります。

 

更年期障害の症状に苦しんだ高橋真梨子も、当時のつらかった出来事をこう語っています。

「うつになって食事を作れなくなったのが一番つらかった。ヘンリーさんが美味しいって言って食べてくれるのが嬉しかったから」

 

そうして半年間の完全休業ののち、音楽活動も再開できるまでに病気は回復。

 

現在も痩せたままで病状が気になりますが、心配は要らないということです。

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高橋真梨子の夫はヘンリー広瀬

高橋真梨子の夫は音楽プロデューサー兼ギタリスト、キーボーディストのヘンリー広瀬氏。

 

妻の高橋真梨子をプロデュースした代表曲には、「桃色吐息」、「はがゆい唇」、「ごめんね…」などがあります。

 

(高橋真梨子の夫・ヘンリー広瀬氏)
高橋真梨子の夫の画像

 

2人はひょんなことをきっかけに恋仲になり、約10年の同棲生活を経て、1993年に結婚。

 

ところが、それから3年後、高橋真梨子が47歳の時、突然コンサートの最中に歌えなくなってしまったのです。

 

ヘンリー広瀬氏は当時のことを「夫として、夫婦で病気を一緒に乗り越えていこう」と思ったとか。

 

また、医者から「太陽を浴びた方がいい」とアドバイスされると、自転車を2台買って引きこもりがちだった高橋真梨子を外に連れ出したといいます。

 

さらには、家事ができなくなってしまった高橋真梨子のために、栄養たっぷりで食べやすい料理を工夫したりしたそうです。

 

そして有言通り夫婦で病気を一緒に乗り越えたわけですが、高橋真梨子は夫の支えに感謝しながら改めて当時の心境をこう打ち明けています。

「本当に、幸せで、ラッキーだったと思いました」

高橋真梨子と母親の確執 父親の言葉

高橋真梨子は高校1年までを福岡で暮らしていましたが、もともと生まれは広島で、ひとり娘として育てられました。

 

父親は、ジャズバンドでサックス奏者として活動するミュージシャンだったとか。

 

そして、高橋真梨子が1歳半のころ、当時ジャズが盛んだった博多へと家族で移り住むことになります。

 

その数年後、ミュージシャンだった父親は難病に侵されることに。

 

当時の父親は脱疽の影響で後遺症に苦しんでいたといいます。

 

すると、父親は「これ以上家族に迷惑はかけられない」と1人広島に帰ってしまったとか。

 

その後、高橋真梨子が小学校3年の時、両親が離婚。

 

親権は裁判によって争われましたが、父親は娘の高橋真梨子を引き取ることもできなかったそうです。

 

それからも大好きだった父親には、年に数回広島まで会いに行っていたといいます。

 

その時父親から歌手になることについて「いいんじゃないか」と言われたとか。

 

ただし、「ポップスとかアイドル的な歌手は、僕は望まない。歌うなら、難しい曲」と言われたそうです。

 

さらには、「スタンダードジャズとか、名曲みたいなものから始めた方がいい」とアドバイスされたということです。

 

そのことが高橋真梨子の音楽活動の原点になったわけですが、父親は高橋が15歳の時に37歳で他界。

 

その後、高橋真梨子は16歳の時、歌手になるために上京することになるのでした。

 

一方、母親の千鶴子さんとの思い出について、いい思い出はあんまりなかったとか。

 

母親は高橋真梨子が子供のころに不倫をしていたため、いつもひとりぼっちだったそうです。

 

そして、母親は父親が病気に苦しんでいる時にもずっと、妻子ある男性との恋愛に夢中。

 

そんな高橋真梨子が当時、孤独の中で支えになったのは音楽で、「恋のバカンス」が流行していたザ・ピーナッツに憧れ、中学生で「歌手になりたい」と思ったそうです。

 

(母親の高橋千鶴子さん)
高橋真梨子の母親の画像

 

また、高橋真梨子は両親が離婚した際、母親と2人福岡で暮らしていましたが、不倫していた千鶴子さんのことは許せずに確執が生まれていたといいます。

 

その一方で、「女手ひとつで育ててくれた母の気持ちはわかる」と相対する気持ちに苦しんだそうです。

 

今でも高橋真梨子は、コンサートで福岡を訪れたときに必ず立ち寄る場所があるといいます。

 

その場所は地元のイタリア料理店で、母親が長年通い続けたお気に入りの店なのだとか。

 

コンサート後、母親はいつも娘の高橋真梨子と夫のヘンリー広瀬氏をこの店に招いていたそうです。

 

その頃母親ととっくに確執は解消していましたが、1998年12月31日、千鶴子さんは69歳で他界したのでした。

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