戸塚ヨットスクール事件 卒業生の有名人(芸能人)は非行だった?

戸塚ヨットスクール校長の画像事件

「爆報!THE フライデー」が体罰によって子供を更生させる施設「戸塚ヨットスクール」に1日密着し、謎の共同生活に迫りました。

 

戸塚ヨットスクール校長の戸塚宏氏は、登校拒否や非行などの問題を抱えた子供に訓練を受けさせ、立ち直らせる施設「戸塚ヨットスクール」を1976年11月に開校。

 

結果、何百人もの生徒が更生して、戸塚ヨットスクールを卒業しています。

 

ただ、行き過ぎた指導により、3名の生徒が犠牲になり、2名の生徒の行方が分からなくなる事件が1979年~1982年にかけて発生。

 

いわゆるこれが、世間でいうところの「戸塚ヨットスクール事件」です。

 

また、このスクールには、大半の生徒が登校拒否や家庭内暴力、非行などで入校してきます。

 

ところが、被害者の1人の小川君は、両親が強い精神力と丈夫な身体を持つ子どもとなることを期待して、入校させたのであって、非行や登校拒否が理由で入ってきたのではありませんでした。

 

そして、行き過ぎた体罰によって、入校8日後には帰らぬ人に。

 

この小川くん事件で戸塚校長は逮捕され、裁判で懲役6年の実刑判決が下されたのでした。

 

結局、世間は戸塚ヨットスクール事件が起きるまでは、スクールの方針に肯定する人も存在したといいます。

 

しかし、事件があってからは手のひらを返したように、殆どの人が否定派に変わったのです。

 

なお、刑務所に収監されていた戸塚校長は、2006年に出所。

 

現在も「戸塚ヨットスクール」の現場に復帰し、生徒の指導にあたっているようです。

戸塚ヨットスクール 卒業生の有名人(芸能人)は?

戸塚ヨットスクールの卒業生に芸能人など有名人はいるのか?

 

結論から言うと、卒業生に芸能人など有名人はいませんが、ひと昔、ウワサになった人物として、元・タレントの山本太郎(現・政治家)が戸塚ヨットスクールの卒業生ではないか?と言われていたことがあります。

 

(山本太郎)
山本太郎の画像

 

山本太郎が芸能界に入るきっかけとなったのは、1990年、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「ダンス甲子園」出場でした。

 

当時の山本太郎は「アジャコング&戸塚ヨットスクールズ」というグループ名で、番組に出演していたのです。

 

その山本太郎が卒業生ではないか?とウワサされたのは、グループ名に「戸塚ヨットスクール」が入っていたため。

 

ただ、山本太郎が『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に出演していた1990年頃はというと、一連の事件が起きた後。

 

しかも、事件があった頃の山本太郎は幼稚園くらいの年齢なので、事件ともまったく無関係になります。

 

また、グループ名に「戸塚ヨットスクール」が入っていたのは、山本太郎が幼少期に悪いことをすると、常に母親から「戸塚ヨットスクールに入れるぞ!!」と言われていたことが名前の由来で、「なんとなくつけた」と本人が語っています。

 

ちなみに、戸塚ヨットスクールには「支援する会」というのがあり、会長に石原慎太郎、俳優の伊東四朗など、芸能人・有名人が支援者の中にいることでも知られています。

戸塚ヨットスクール事件の被害者 小川君は非行ではなかった

今のご時世、体罰はすぐに問題になりますが、一昔前は体罰なんて当たり前の時代でした。

 

しかし、戸塚ヨットスクールの校長で、過去の指導中に生徒が犠牲になったことで、非難を浴びた戸塚宏氏は、出所後の現在も「体罰肯定論者」だといいます。

 

そして現在も、戸塚ヨットスクールは存在しており、戸塚校長もこれまで同様、生徒の指導にあたっているようです。

 

と言っても、生徒の数は、たったの数名しかいません。

 

昔の戸塚ヨットスクールでは女性も存在。

 

100人もの訓練生を預かっていた時代でもあり、中学生ぐらいが中心でした。

 

一方、現在の戸塚ヨットスクールは、いちばん下が高校生で、いちばん上は40歳代だとか。

 

やはり、昔の事件があったからか、入校してくる数がぐんと減っているようです。

 

それでも入ってくるのは、精神科やフリースクールなどに行っても何ともならなくて、最後の手段として、入ってくるのだといいます。

 

結局、その頃には、40歳とか50歳になってるため、中年層でも入校してくるのだそう。

 

また、戸塚ヨットスクールでは2011年から、3歳~12歳までの幼児を対象に、一週間前後の合宿「戸塚ジュニアヨットスクール」をほぼ毎月、開催しています。

 

戸塚校長いわく、「結局、教育は幼児からやらんと手遅れなんだということがようわかった。幼児のときにきっちりやれば、あとは自分で自分を伸ばすことができる」とコメント。

 

そして、現在も体罰は肯定している戸塚校長なのですが、その方針は事件が起きてからも社会問題に発展しています。

 

1979年~1982年に3名の生徒が亡くなり、2名の生徒が行方不明になった「戸塚ヨットスクール事件」は、スクールの方針に肯定していた人の殆どが、否定派に変わったのでした。

 

この事件で戸塚校長および、コーチらは逮捕され、有罪判決が確定。

 

逮捕の要因は行き過ぎた体罰なのですが、戸塚校長の逮捕は、被害者の1人である小川君事件が決め手となったのです。

 

被害者の小川君は当時、中学1年生の13歳。

 

ほかの生徒と違って、登校拒否や非行ではない、いたって普通の子供です。

 

しかし、両親がヨットの操縦や苦手な水泳が上達し、体力にも自信がつくのではないか?と考えるようになり、入校を希望した生徒だったのです。

 

当時の戸塚ヨットスクールは、体罰が嫌で脱走する生徒がいたりする中、小川君は必死に絶え続けた結果、あってはならない事件が起きてしまったのでした。

戸塚ヨットスクール事件 校長の判決が軽い?

戸塚ヨットスクール事件では、戸塚校長と数名のコーチが逮捕されました。

 

名古屋地方裁判所の一審で、戸塚校長には懲役3年執行猶予3年(求刑は懲役10年)の判決。

 

それぞれのコーチには、懲役10カ月~2年6カ月という内容で、同じく執行猶予が付いたのです。

 

この判決の軽さに、世間が反発。

 

抗議の集会が開かれるまでに発展したのでした。

 

また、この判決を不服とし、検察側と戸塚、コーチら双方が控訴。

 

二審では一審判決を破棄し、戸塚校長に懲役6年、コーチらにも実刑の判決を下したのです。

 

結局、最高裁までもつれたのですが、結果二審判決を支持して、戸塚校長の懲役6年と、コーチ陣らの有罪が確定。

 

戸塚校長の裁判をほとんど全部傍聴したという小川君の母親は、「戸塚は出所後も、私たちに詫びの一つもなかったし、もちろん焼香しにくることもありませんでした。戸塚が考えを改めない限り、また新たな犠牲者が出ると思っていました」と語ったのでした。

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