1998年、和歌山市園部の夏祭りでカレーにヒ素が混入され、67人もの死傷者が出た「和歌山毒物カレー事件」は、現場近くに住む林真須美が犯人として逮捕されました。
現在、林真須美は2009年に最高裁にて死刑が確定し、死刑囚として大阪拘置所にいますが、無罪を訴え再審請求中。
しかし、現状では不自然な点や動機の解明ができていない状況であり、刑はまぬかれそうもありません。
ただ、最近になって有罪の決め手となったヒ素の鑑定データを再分析すると、「林家で見つかったヒ素」と「現場で見つかったヒ素」が異なる物だと判明しています。
そういった経緯から、林真須美死刑囚の冤罪を疑う声も増してきているといいます。
真犯人について、林真須美死刑囚の子供である次女を疑う声や、「誰かをかばっている」。
あるいは「真須美死刑囚を犯人に仕立て上げた人物がいる」など、世間の声はさまざま。
物的証拠も動機もなく、犯人として逮捕されたのは「ロス疑惑の三浦和義と林真須美だけだ」なんていう声もあがっているようです。
実際、夫の林健治氏も真須美死刑囚の冤罪を主張しており、真犯人についても誰なのかも知っている様子。
だとすると、「和歌山毒物カレー事件」の真犯人は一体誰なのか。
そこで今回は、真犯人に娘の次女説、両親が逮捕された後、施設に入った息子が性的虐待を受けていたことなどについて、検証してみました。
林真須美の次女(娘)が真犯人?
1998年7月25日、和歌山市園部地区で行われた夏祭りで、カレーを食べた67人が腹痛や吐き気などを訴えて病院に搬送された「和歌山毒物カレー事件」は、当時、カレー鍋を一人で作っていた林真須美が犯人として逮捕されました。
警察の調べでカレー鍋には、「ヒ素」が混入されていたことが判明。
ヒ素は、「林真須美死刑囚の自宅で見つかったものと同じである」と結論付けられたのです。
しかし、最近になって「林家で見つかったヒ素」と「現場で見つかったヒ素」が異なる物だと判明。
そのため、林真須美死刑囚の冤罪が浮上しているのです。
林真須美死刑囚と夫の健治氏は、以前、ヒ素を使って保険金詐欺を働いていた過去があり、カレー事件でも保険金目的での犯行と思われました。
ところが、よく考えてみると、このような事件では保険金は出ないのです。
林真須美死刑囚は、損得でしか動かないというのだから、事件を起こしても何のメリットもありません。
しかも、夏祭りには自分の子供もいたということから、事件を起こすとは思えないというのが、林真須美死刑囚の冤罪を訴える理由のようです。
では、一体真犯人は誰なのか。
その一つとして、林真須美死刑囚の次女(娘)に真犯人説が浮上しているようです。
なお、次女(娘)ですが、写真こそないものの、母親の林真須美死刑囚と時々間違えられる程似ていたとか。
事件当日、「次女」に似た人物もカレー鍋の近くにいたことが、目撃者の証言にあります。
さらに目撃者は、「白いシャツを着た髪の長い太ったおばさんを見た」と証言。
犯人の林真須美死刑囚は、事件当日、黒いシャツを着ていて、髪も長くはありませんでした。
一方、娘の次女は、林真須美死刑囚に似ているものの、髪は長かったようです。
よって、次女もカレー鍋の近くにいたことは想像できるのですが、これだけで真犯人と決め付けるわけにはいきません。
他に証拠がないため、逮捕されていないのだから、やはり、林真須美死刑囚が次女をかばっている可能性は低そうです。
林真須美は冤罪で真犯人は夫が知っている?
「もしかすると真犯人を警察はミスで取り逃がしているのかもしれない。」
そう話すのは林真須美死刑囚の夫・健治氏です。
当時、林真須美死刑囚はカレーを作っていたから、容易にヒ素を入れることが出来たし、ヒ素も自宅にありました。
性格的にキレやすい性格なので、住民と揉め事があり、腹が立ってヒ素を入れたことになっているようですが、夫の健治氏いわく、同じ条件を満たしている人物が町内にまだいるといいます。
その人物もカレー鍋にヒ素を入れることが出来たといい、住民との揉め事もしょっちゅうあったそう。
その人物は、林家よりも長く園部に居住している元祖トラブルメーカーで、林真須美死刑囚ともよくもめて怒鳴りあいしたこともあったとか。
しかもその人物は、カレーを食べいるが一人平然としていたそうです。
みんな吐いて大変なのに一人だけ笑っていたといい、「自分が入れたのがバレるのが怖くて、少しだけ食べて、被害者ヅラしているのではないか?」と、夫の健治氏は、その人物こそが真犯人だと睨んでいるようなのです。
林真須美の息子が施設で虐待を受けていた
林真須美死刑囚には4人の子供がいます。
子供は娘が3人、息子が1人で、両親が逮捕された後に、子供4人は施設に預けられました。
その息子が中学3年生になった2003年2月、施設内の部屋で性的虐待が始まったといいます。
虐待したのは20代の女性非常勤職員で、2002年1月に同施設に採用された人物。
女性非常勤職員は、行為の後、息子に対して口止めしていたそうです。
当時の息子は、両親が事件の被告人であるという弱みがあったため、関係の強要に対し、反抗出来なかったとか。
女性非常勤職員との関係は、息子が高校3年になる直前の、2005年3月頃まで続いたそうなのですが、息子が姉に被害を訴えたことによって発覚。
和歌山県は女性非常勤職員の保育士資格を抹消。
施設はこの女性職員を懲戒解雇しています。
その息子は、林真須美死刑囚の逮捕後、初めてマスコミの取材に対して答えています。
息子が取材に応じたのは、4人の子供が養護施設に預けられた際、苗字が林ということで、素性がすぐにばれて壮絶ないじめにあったことや、性的虐待のことで17歳の時に施設を抜け出したことなど。
その際、息子はアルバイトをしようとしたが、住所がないため雇ってくれるところがなかったといい、公園で寝ていた時期もあったといいます。
その後、ようやくアルバイトが見つかって居酒屋で働くことになっても、「あれ、林真須美の長男やで」と、素性がばれると店主からは「衛生的に悪いからやめてもらえるか」と告げられたこともあったとか。
遠回しにクビを宣告されることが続き、息子は犯罪者の母を恨んだといいます。
そして、息子が21歳のときに母親・真須美死刑囚の死刑が確定。
いまでも年に1度だけ、母親のもとに面会しに行っているそうです。