藤圭子の生い立ちと晩年!旦那との離婚歴や両親について調査

藤圭子の画像芸能

宇多田ヒカルの母親として知られる歌手の藤圭子さんは、2013年8月22日の早朝、マンションから転落して亡くなっています。(享年62)

 

藤圭子さんといえば、1人目の旦那が歌手の前川清(70)で、離婚後に音楽プロデューサーの宇多田照實氏(70)と再婚。

 

宇多田照實氏と再婚後は、子供(宇多田ヒカル)を授かるも、2人目の旦那・照實氏とは、離婚と結婚を繰り返していました。

 

そんな藤圭子さんの晩年は、病気の「統合失調症」に苦しめられていたとか。

 

亡くなったことが報じられたのも、東京・西新宿の高層マンションから転落したことが原因だったため、日本中に衝撃が走ったのです。

 

あまりに突然すぎる別れは、当時、大々的に報じられたのですが、死因に至ってはよからぬ情報が、マスコミ関係者の間で駆け巡ったといいます。

 

ところが、捜査に当たった警察からは「尿検査の簡易鑑定からは検出されなかった」と憶測された死因について、否定したのです。

 

当時、藤圭子さんの関係者も「違法なものには手を出していなかったはず。ただ睡眠薬とか、うつ病のクスリとかは持っていたのではないか」と証言したのでした。

 

そこで今回は、藤圭子さんの晩年や死因、旦那との離婚歴についてまとめてみました。

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藤圭子の生い立ち

藤圭子さんには、不幸な生い立ちがあったといいます。

 

昭和26年7月5日、岩手県一関市で生まれた藤圭子さんの本名は阿部純子。

 

父親は旅回りの浪曲師で、ほぼ全盲の母親(澄子)は相方の三味線奏者。

 

姉と兄がいる3人兄弟の末っ子として、育てられます。

 

藤圭子さんが生まれてすぐに一家は、北海道名寄市に移住するも、住まいはおんぼろアパート。

 

藤圭子さんはそこで極貧生活を送ることになります。

 

両親の稼ぎはわずかで、子供たちの食費は1人あたり1日約10円。

 

ごはんと醤油だけという日もあったそうです。

 

なので、少しでも稼ごうと藤圭子さんも10歳から村祭りなどで歌ったり、両親と一緒に旅回りに同行するも、焼け石に水。

 

次第に学業もおろそかになって行き、15歳になると、一家は岩見沢市へ転居することになります。

 

ここで運命が急転。

 

地元行事で歌ったところ、ビクター専属の作曲家から声がかかったのです。

 

しわがれてドスの利いた声と、抜群の歌唱力が買われたのです。

 

藤圭子さんは作曲家からの誘いに希望を見出し、中学卒業後の昭和42年に両親と上京。

 

家族を支えるため、歌一本でやっていくことを決心し、レッスンを積んだのです。

 

しかし、ビクターのオーディションに落選。

 

理由は、「暗いから」だったそうです。

 

やむなく藤圭子さんは、母親の手を引き、夜の街へ出ます。

 

母・娘で流しを始めるも、3曲歌って200円。

 

貧しい生い立ちは、終わりを告げることはありませんでした。

 

それから1年半、すがるように歌のレッスンを続けていたころ、作詞家の石坂まさを氏と出会い、RCARCAレコードとの契約をつかみ取ります。

 

18歳で念願の歌手デビュー。

 

1969年9月発売のデビュー曲「新宿の女」は、世相に反して、暗い藤圭子さんが歌う曲もまた哀歌(あいか)となり、88万枚の大ヒット。

 

1年後の1970年にリリースした「圭子の夢は夜ひらく」も大ヒットし、一躍スターになったのでした。

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藤圭子と両親

藤圭子さんは、盲目の母親(澄子)さんと仲が良いことで有名だったそうです。

 

デビュー後も、金銭などの管理を母親に任せていたらしいのですが、後に絶縁。

 

看取ることもなかったということです。

 

(藤圭子さんの両親)
藤圭子の父親と母親の画像

 

一方、父親は短気で、暴力をふるうこともあったそうです。

 

父親は、藤圭子さんのデビュー後、娘の稼ぎで生活していたらしいのですが、やがて母親と離婚。

 

以来、疎遠になったということです。

藤圭子の晩年と死因

藤圭子さんに関して、捜査した警察から「違法物等の使用はない」とのコメントが発表されたことにより、死因との因果関係は否定されました。

 

ですが、そもそもなぜ、藤圭子さんによからぬウワサが囁かれたのか。

 

そこには、疑われても仕方がない“過去”があったからなのです。

 

藤圭子さんは、2006年にアメリカ・ニューヨークの空港で42万ドル(当時のレートで約4900万円)もの大金を、マトリに没収された過去があったのです。

 

当初のきっかけは、捜査犬が探知したからで、調べてみると現金から微量の違法物が検出されたのだとか。

 

同局は「現金が取引に使われたか、取引に使うもの」と結論付け、42万ドルを没収。

 

ところがその後、現地の捜査当局は違法物との因果関係を否定し、現金を2009年に返却したのです。

 

そうした過去の出来事が、死因と結び付けられてしまったのですが、ほんとうのところの原因は他にありそうです。

 

ただ、娘の宇多田ヒカルが、母親・藤圭子さんの死去後にコメントを発表しているのですが、そのときに語っている「親子関係の崩壊」が、死因の一因になったのではないかともいわれています。

 

宇多田ヒカルが語ったのは、母親・藤圭子さんの晩年について。

 

晩年、病気を患っているとウワサされていたことに、「母はとても長い間、精神の病に苦しめられていました」と告白し、ハッキリと病気だったことを認めたのでした。

 

さらに宇多田ヒカルは、「幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました」と説明。

 

対する、藤圭子さんの元旦那・宇多田照實氏もコメントを発表し、「感情の変化がより著しくなり始めたのはヒカルが5歳くらいのことです。自分の母親に対しても、攻撃的な発言や行動が見られるようになり、ヒカルと僕もいつの間にか彼女にとって攻撃の対象となっていきました」と、家庭が徐々に崩壊して行った理由を語ったのです。

 

なので、2人の子供の宇多田ヒカルにとって、両親への不信感は相当なものだったとか。

 

しかも、藤圭子さんが亡くなる直前、「家族3人はまったく連絡を取り合っていなかった」と衝撃的な事実も明かされているのです。

 

(元旦那の宇多田照實氏と宇多田ヒカル)

 

では、晩年患っていた藤圭子さんの病気とは一体なんだったのか。

 

藤圭子さんは、照實氏と離婚し、娘の宇多田ヒカルとも疎遠になっていたことで、情緒不安定になっていたそうです。

 

そのため、睡眠薬や、うつ病のクスリとかを持っていたのではないかとされている上に、藤圭子さんは「統合失調症」を患っていたとの報道もあります。

 

「統合失調症」は、クスリを過剰に服用すると、幻覚や妄想にさいなまれ、ときにそれが他者を傷つける行動へと発展することもあるのだとか。

 

その通りだとすると、薬の服用方法を誤ってもうろうとした意識のまま、マンションから転落した可能性はあります。

 

ちなみに当初はないと報道された「遺書」についてですが、宇多田ヒカルの方から見つかっていたことが発表されたのでした。

藤圭子の旦那は前川清で子供と離婚歴がヤバい

藤圭子さんは、1人目の旦那・前川清と1971年に結婚しました。

 

1969年、18歳で歌手デビューした藤圭子さんは、翌年の2枚目シングル「女のブルース」が102万枚、2か月後には「圭子の夢は夜ひらく」で185万枚のヒットを記録。

 

当時、売れっ子だった藤圭子さんは、まだ19歳で、前川清も22歳と若いだけでなく、内山田洋とクールファイブのボーカルとして人気がありました。

 

そんな22歳と19歳の電撃結婚で世間を騒がせたのですが、1年で離婚。

 

(若い頃の藤圭子さんと前川清の画像)
藤圭子と前川清 若い頃の画像

 

離婚後、1982年に藤圭子さんは渡米し、米国で2人目の旦那・宇多田照實氏と出会います。

 

翌83年に子供の(宇多田ヒカル)を出産し、米国暮らしを続ける一方で、元旦那の前川清は、藤圭子さんと離婚後の1982年に一般人女性と再婚し、3人の子供をもうけています。

 

長男の前川紘毅は2006年に歌手としてデビュー。

 

宇多田ヒカルも歌手としてデビューしているので、双方の子供も歌手ということになりますが、藤圭子さんは2人目の旦那・宇多田照實氏と6度の離婚歴があるのです。

 

結局、前の旦那の前川清を含めると、7度の結婚・離婚歴があることになります。

 

それに前川清と結婚した理由を、「隠れて会うのが面倒くさいというのがあった。だったら面倒くさい、一緒になろうか」と勢いだけで結婚したことを明かしており、当初は結婚式を行う予定はなかったのだとか。

 

2人の話し合いで籍だけ入れるつもりが、テレビ局と事務所とのしがらみで、挙式・披露宴をやることになったそうです。

 

そして、結婚生活が1年しか持たなかったことについてですが、ほんとうは結婚前にすでに破綻していたとか。

 

ちなみに宇多田照實氏との離婚理由は、照實氏の女性関係や、仕事の方向性の違いで衝突した末のことだったようです。

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