☆この記事はこのような人におすすめです。
・栃木雑貨商一家殺害事件の犯人、菊池正の生い立ちを知りたい。
・菊池正の家族(父親、母親、兄弟)に関して知りたい。
・栃木雑貨商一家殺害事件の場所、被害者に関して知りたい。
1953年(昭和28年)に起きた「栃木雑貨商一家殺害事件」。
その事件の犯人とされる菊池正(きくちただし)という男の名前を、知っているという人もいるかと思います。
最も菊池正に関しては「脱獄犯」といったことで有名ですが、果たして彼は本当に“ただの悪人”だったのでしょうか。
今回は、そんな菊池正の生い立ちや、父、母、兄妹との関係。
なぜ、菊池正はあのような道を選んでしまったのか?
事件の裏にあった人間らしさや、悲しさに目を向けてみたいと思います。
栃木雑貨商一家殺害事件の犯人・菊池正の生い立ち
栃木雑貨商一家殺害事件の動機は、菊池正が母親の治療費を工面する為でした。
犯人の菊池正は、栃木県の南東部、芳賀郡市羽村(現在の市貝町)育ち。
もともと心優しい性格で知られていた人物で、近所の人たちからも信頼されるような存在だったとか。
近所の人たちは、菊池正のことを「真面目な青年」として見ていたらしく、人に尽くすことをいとわないタイプだったそうです。
なので、少なくとも事件を起こすまでは「信頼される存在」だった。
そんな菊池正の生い立ちですが、育った家庭環境は、両親が離婚するなどし、決して裕福ではなかったようです。
また、菊池正が成長していく中で、学校には行かず、働き詰めの生活を送っていたとか。
働きながら家計を支える、そんな暮らしの中で、やりたいことがあっても、「そんなの言ってられない」と、頑張っていたのかもしれません。
菊池正の生い立ちは、「誰かのために尽くす」という面と、「自分の感情を押し殺して生きてきた」という面の表裏一体だったように感じられます。
菊池正の母親
母親のヨデさんは、菊池正が22歳の頃に白内障を患い、結局その後、盲目になったとか。
そんな母親を息子・菊池正は、とても大切にし、どんなときも「母親の為に」と考えていたようです。
事件後、脱獄という極端な行動に出た理由も、「どうしても母親に会いたかったから」。
これはもう、普通の感覚では理解しづらい部分かもしれません。
しかし、菊池正の行動を「母親を想う気持ちが強すぎた」と考えると、少しだけその気持ちの根っこが見えるような気がします。
「親孝行したかっただけかもしれないのに…」と、なんとも言えない切なさが残りますよね。
もしかすると、菊池正にとって母親は「心の拠り所」であり、逆に言えば、それ以外に寄りかかれるものがなかったのかもしれません。
菊池正の父親
菊池正の父親については、あまり詳しく語られてないようです。
分かっている事としては、酒癖が悪かったということ。
この事が原因で、両親は菊池正が2歳の頃に離婚。
離婚後、菊池正は母親のもとで育てられたということです。
そして、その後母親はひとりで家庭を支え、菊池正が5歳の頃に再婚しています。
しかし、再婚相手も母親にきつく当たったりしていたとか。
そんな姿を、幼い頃からずっと見てきた菊池正にとって、母親は“守るべき人”であり、“恩返ししたい人”でもあった。
結局、新しい家庭でも生活が貧しく、菊池正は働くしかなかったようです。
菊池正の兄と妹
菊池正の兄弟に関しても、あまり詳しく語られていませんが、兄と妹がいたそうです。
兄は実兄、妹は再婚相手の連れ子で、血縁関係なし。
ですが、菊池正にとって、妹は“守るべき存在”だったように感じます。
母親と同じように、「自分が頑張れば、幸せにしてあげられる」そんな思いがあったのかもしれません。
実際に盗んだ腕時計をプレゼントするなどしており、妹に対しては、きっと優しくて、怒ったりもしなかったんだろうな…と、なんとなく想像できます。
栃木雑貨商一家殺害事件の被害者
栃木雑貨商一家殺害事件の被害者は、雑貨店を営んでいた一家3人と使用人含めた4人。
この被害者については、当時の記録でも詳細がはっきりしていません。
ですが、4人も命を落としたというのは、本当に胸が痛くなる出来事だったと思います。
普段から地域の人に親しまれ、家族揃って営んでいたあたたかい店。
そんな場所が一瞬で“事件現場”になってしまったなんて、まさに悪夢ですよね。
「平和な町でこんなことが…」と思ってしまうのも無理はありません。
だからこそ、こうして語り継いでいくことに意味があるんだと思います。
栃木雑貨商一家殺害事件の場所
栃木雑貨商一家殺害事件が起きた場所は、栃木県の南東部、芳賀郡市羽村(現在の市貝町)。
現場となった雑貨屋は自宅兼店舗で、現在でいうと、コンビニと家が一緒になったような感じです。
1953年当時、周囲はのどかな田舎町で、近所同士が顔見知りなのが当たり前…そんな時代でした。
ただ、そんな平和な場所で、まさかあんな事件が起きるなんて、誰も思っていなかったはずです。
今でこそ「市貝町」という名前に変わっていますが、地域の人にとっては、あの日のことはきっと、今も記憶に深く刻まれているんじゃないでしょうか。
ちなみに「芳賀郡市貝町」、読めなかった方もご安心を。「はがぐんいちかいまち」と読みます。
ちょっと難読地名、あるあるですよね。