卓球の福原愛選手(28)は4歳のときから競技を始めています。
幼少期の福原愛選手といえば、「母親との二人三脚」、「泣き虫愛ちゃん」で話題になりましたが、父親の存在については、これまであまりテレビで明かされていません。
ただ、父親は福原愛選手が幼いころ、テレビによく映っていました。
ところが、ある日を境にまったく姿を見せなくなったのです。
というのも、福原愛選手は、2008年ごろから父親が他界する2013年までの5年間、絶縁して確執関係にあったことを告白しています。
急に絶縁関係となった理由は、父親の負債だったとか。
父親は、福原愛選手が10歳のころ、仙台で経営していた不動産会社が3億5000万円の負債を抱えて倒産。
債権者から1億4000万円の返済を求められるなど、返済に追われていたのです。
また、当時は福原愛選手が稼いだギャラは返済に充てられ、福原家の生活は、すべて愛ちゃんにかかっていたそうです。
そんな状況に嫌気がさし、兄に頼んで「もうかかわらないでほしい」と告げてもらって決別したのだとか。
しかも、福原愛選手の両親は、父親の不動産会社が倒産したのを機に離婚。
絶縁を告げてから亡くなるまでの間、父親は秋田県湯沢市の温泉関連会社で役員を務めて、平穏な日々を送っていたそうです。
そこで今回は、福原愛選手が父親と絶縁した理由についてまとめてみました。
福原愛が父親と絶縁
福原愛選手の父親の名前は福原武彦さんといって、2013年10月6日に他界しています。
死因はすい臓がんで、享年71歳でした。
当時、福原愛選手は、父親の訃報を東アジア大会が開催されていた中国の天津で知ったといいます。
また、父親の葬儀には、大会に出場していたため不参加。
かわりにFAXで「2008年の終わりごろを最後に、一度も会っていない状態にありました。以降は電話やメールでのやりとりも、一度もない関係となりました」と、ここしばらくの間は絶縁状態の関係にあったことを明かしたのです。
生前、父親の武彦さんは、絶縁状態になるまでの2008年ごろまで、娘の福原愛選手のマネジメントを担当。
卓球は素人で、目先の結果にとらわれすぎて、負けたらすぐに指導法を変えるなどしていたそうです。
さらにこのころは、父親の経営する不動産会社が倒産していたこともあって、家計は常に火の車だったとか。
絶縁 確執の理由は借金?
福原家は、福原愛選手の稼いだ収入で、家計がまかなわれていたといい、すべてが娘頼み。
なので、福原愛選手が出演するCM契約料も、すべて父親の返済のために消えていったそうです。
さらに、福原愛選手がバラエティ番組によく出演していたころなんかは、結局、父親の負債を返済するためだったと言われています。
また、2005年に福原愛選手は「ミキハウス」から「グランプリ」に所属先が移り、その後ANAとスポンサー契約していました。
そして、そのままANAに所属することになったのも、父親の金銭的な事情が理由だったということです。
ただ、当時の福原愛選手は、所属先が転々とすることに、嫌気がさしていたといいます。
そのため、福原愛選手は、兄の秀行さんと話し合い、「これ以上、父に振り回されたらダメだ」と、絶縁することを決意。
そして、自分のかわりに兄が父親に「もう愛にはかかわらないでほしい」と話して、決別したそうです。
以来、父親とは絶縁し、確執をもつ関係に。
福原愛選手のマネジメントは母・千代さんと兄が仕切るようになり、父親は大会の会場など、一切姿を見せなくなったのだということです。
福原愛の父親は秋田の温泉関連会社で晩年を過ごす
2016年9月に台湾の卓球選手・江宏傑氏(27)と結婚するという大きな節目を迎えた今、福原愛選手にとっては一番幸せな時期なのかもしれません。
福原愛選手といえば、3歳の頃から母親・千代さんの英才教育を受け、テレビで”愛ちゃん”の愛称で日本中から親しまれる存在となりました。
以降は4大会連続でオリンピックに出場、2大会連続でメダルを獲得するなど、数々の快挙を成し遂げるまでに成長。
ただし、そんな今の成長した福原愛選手があるのも、父親の影響が大きかったのだと思います。
その父親とは、理由はともあれ、確執を持つことになった福原愛選手は、アスリートとして、親子の縁よりもメダルを選んだようです。
おかげで、2012年のロンドン五輪女子団体で初の銀メダルを獲得。
まだ記憶に新しい2016年のリオデジャネイロ五輪でも、女子団体で銅メダルを獲得するなどの活躍でした。
一方、父親の武彦さんは晩年、福原愛選手の祖母がいる秋田県湯沢市に帰省。
湯沢では、温泉関連会社で役員を務め、旅館経営に関わっていたようです。
そして父親は、その後も福原愛選手の祖母が切り盛りする稲住温泉旅館の離れに暮らし、亡くなるまでの間、平穏な日々を送っていたのだといいます。