船場吉兆の現在!湯木佐知子(女将)と湯木喜久郎(長男)は?2024最新

船場吉兆の女将の画像事件

☆この記事はこのような人におすすめです。

・吉兆グループの高級料亭「船場吉兆」の不祥事について知りたい。

・女将の湯木佐知子氏と、長男の湯木喜久郎氏の現在を知りたい。

 

高級料亭「船場吉兆」といえば、内部告発により、不祥事が次々と発覚。

 

その店の女将だった湯木佐知子氏が、「船場吉兆事件」の真相を明らかにしています。

 

そこで今回は、内部告発で不祥事が発覚した「船場吉兆事件」の全貌。

 

女将だった湯木佐知子氏、役員だった長男・湯木喜久郎氏らの現在について迫ってみたいと思います。

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船場吉兆が内部告発で不祥事発覚!

吉兆グループの「船場吉兆」の本店は、大阪市中央区北久宝寺町の船場本店。

 

支店としては、大阪心斎橋店と福岡天神店、博多店で店舗を展開していた高級料亭です。

 

そんな船場吉兆が、2007年に不祥事騒動を起こすことになります。

 

「船場吉兆事件」では、賞味期限偽装に始まり、産地偽装、無許可酒造等の不祥事が相次いで発覚。

 

賞味期限偽装は、船場吉兆の女将の次男・湯木尚治取締役(天神店)から、ラベルを貼り変え、賞味期限を延ばすようパートに指示していたというのです。

 

なお、福岡の船場吉兆・天神店は偽装を認め、社内調査で「偽装はすべてパート女性の独断で行い、会社は指示も関与してない」と福岡市に報告。

 

しかし、パート女性は不祥事発覚後、次男の湯木尚治取締役から「すべてパートの責任とする書類に署名を迫られた」と明かしたのです。

 

このときパート女性は、「自分たちの責任にされることは事実と違う」と拒否すると、湯木尚治取締役は激昂し、女性を恫喝したといいます。

 

内部告発により次々と不祥事が発覚した「船場吉兆」は、2008年1月に経営陣を変え、2店舗を閉店して営業を継続しましたが、再び内部告発により事件が発覚。

 

店では、客が食べ残したものを使い回していた事が分かったのです。

 

この事がきっかけとなり、「船場吉兆」は、2008年5月25日、全店を閉店し廃業。

 

負債は8億円となり、女将の湯木佐知子氏は自己破産をしたのです。

船場吉兆の女将と長男の湯木喜久郎の現在

全盛期は年商14億円とも言われた「船場吉兆」も、偽装工作の不祥事が発覚した後は客足が遠のき、2008年に廃業。

 

職を失った船場吉兆の女将と、長男の湯木喜久郎氏は、現在どのような生活を送っているのでしょうか?

 

まず、会見の際、言葉が出なく困っている息子にささやいて指示をした女将の湯木佐知子氏は、自己破産をした後、夫と一緒に賃貸マンションで年金生活をしているそう。

 

また、息子で長男の湯木喜久郎氏は、飲食の世界からは離れ、現在は別の職についているといいます。

 

結局、偽装を指示していた黒幕の湯木喜久郎氏は、別の業界。

 

飲食業を続けているのは、次男の湯木尚治氏だけで、現在は大阪、北新地の日本料理店「日本料理 湯木」を展開。

 

その店も今では、3店舗を構えるほどになっているそうです。

 

また、飲食業を再開することになったきっかけですが、昔から懇意にしてくれた外食チェーンの経営者にこう声をかけられたからだとか。

「時間が余っているなら、うちの店を手伝ってくれ。『吉兆』で学んだ料理のイロハを生かしてほしい」

 

といっても、最初は『(株)プラス思考』という個人会社を作り、外食のコンサル業を始めて、生計を立てていたといいます。

 

ところが、コンサル業をしているうちに、「やっぱり自分でもう一度店をやりたい」という気持ちになったそう。

 

さらに、知り合いの不動産屋から「もともと小さな鮨屋だったところが空いたから、料理屋をやってみないか」と声をかけられたのが、飲食店を再開するきっかけになったようです。

 

そして大阪・難波に6坪、カウンター6席の小さな店を開き、もう一度心を改めてやりなおそうと一生懸命働くことに。

 

そうすると、少しずつ、客が来てくれるようになり、今では吉兆時代の客も足を運んでくれているそうです。

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