西脇充子と魁皇の子供は?現在の乳がんステージや病状は?(2024最新)

西脇充子と魁皇の画像スポーツ

元女子プロレスラーで、現役時代は西脇充子として活躍した古賀充子は、昭和60年に全日本女子プロレスに入門。

 

そのときの同期、北斗晶とは30年来の親友だそうです。

 

そんな西脇充子の旦那は、浅香山親方として弟子の育成にあたっている元大関の魁皇。

 

魁皇とは1999年に結婚していますが、現在も子供はいません。

 

その代わり、嫁として浅香山部屋の弟子たちを支えています。

 

そこで今回は、西脇充子と魁皇の馴れ初めや、若い頃に患った卵巣がん。

 

そして、新たに告白した乳がんのステージなどについて調査してみました。

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西脇充子は魁皇の嫁

元女子プロレスラーの西脇充子は、元大関・魁皇の嫁で本名は古賀充子。

 

1967年、岐阜県安八郡のごく普通のサラリーマン家庭に生まれました。

 

小学生時代から剣道を習い始め、中学時代は全国大会で3位。

 

新日本プロレスの初代タイガーマスクに憧れ、部屋中にポスターを貼り、試合会場に足を運んで出待ちするほどの大ファンだったそうです。

 

また、70年代は、ビューティーペアが空前の女子プロレスブームを呼び、80年代にはクラッシュギャルズが現れ、その人気が再燃。

 

西脇充子も夢中になったといいます。

 

そして、高校2年時の85年1月、父と姉に付き添われてオーディションを受けに行くのですが、東京の会場に着くと、2千人以上もの女子たちがとぐろを巻く状態で集結していたといいます。

 

結果はみごと合格。

 

合格者10人のうちの1人が北斗晶で、アジャコングが1期後輩にあたります。

 

その後、オーディションに合格した西脇充子は、高校を中退して3月に入団。

 

早くも5月にデビューを飾り、その美貌とスタイルで運営側から推される存在となります。

 

当時の西脇充子は、同期の堀田祐美子とファイヤー・ジェッツを結成。

 

80年代後半の全日本女子プロレスで活躍するのですが、89年に絶大な人気を呼んだクラッシュギャルズが引退すると、観客は激減。

 

女子プロレス界は急速に陰って行ったのです。

 

西脇充子は、その後を自分たちが継ぐなんてとても無理と考え、引退を決意。

 

90年10月、22歳で引退すると、今度は歌の勉強をし、バンド仲間とライブ活動に明け暮れたのでした。

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西脇充子と魁皇に子供はいる?

西脇充子は、1999年に魁皇と結婚しましたが、現在、2人に子供はいません。

 

ですが、西脇充子にとっては、まさに玉の輿婚。

 

その理由は何と言っても、通算1047勝と歴代最多勝利数を持つ元・大関魁皇の嫁だからです。

 

旦那の魁皇は、39歳で現役を引退した後、浅香山として親方となり、2014年2月に浅香山部屋を設立。

 

なので、西脇充子は自然と部屋の女将となり、古賀充子として新米女将をスタートさせたのです。

 

そもそも魁皇との馴れ初めは、プロレス引退後に卵巣がんで入院していた西脇充子の退院祝いで開かれた、合コンだったといいます。

 

しかし、西脇充子は魁皇との出会いを「共通の記者の紹介だった」と、説明しているようです。

 

それだけ合コンというほどでもなかったらしいのですが、運命的な出会いだったことを告白。

 

「本当はうちの親方じゃない人(力士が)が来るはずだったんですけどキャンセルになって、そこで空いていたのが魁皇関だった」と。

 

つまり、病気で入院していなければ、魁皇との出会いもなかったということになります。

 

それでも「当時若貴ブームの頃だったので、魁皇のことは知らなかった」と、嫁の西脇充子は当時のことを思い浮かべて語っています。

 

また、合コンには1人で行くのが嫌だったらしく、当時髪の毛を短くて金髪にしていた後輩のアジャコングに「一緒に来い」と言って、合コンに連れて行ったということも告白。

 

魁皇もどんな人が来るんだろうと思っていたらしく、当時金髪にしていた西脇充子とアジャコングが一緒に来たので「えっ!」て驚いたとか。

 

最初はびっくりしていた魁皇だったようですが、段々と西脇充子の人柄に惚れていき、2次会のカラオケではチークダンスまで踊ったそうです。

 

ただ当初、西脇充子は魁皇のことを内心はあまり気に入らなかったそうですが、アジャコングから「いい雰囲気でしたけど、お二人が。“いいんじゃないですか?”」などとプッシュされたといいます。

 

結局、アジャコングの後押しもあり、3か月後に交際へと発展したのでした。

西脇充子の現在の乳がんステージや病状

西脇充子は、若い頃に卵巣がんを患っています。

 

卵巣がんが見つかったのは29歳の時。

 

26歳でアメリカに遊学して1年半後に帰国したある日、ふと腹部に違和感を感じたそうです。

 

それで検査すると「卵巣がん」と判明。

 

その後は、手術を受けて半年間の抗がん剤治療を終え、少しずつ髪の毛も生え始めた頃、ちょうど魁皇と出会ったのです。

 

出会いから約2年後、99年6月に結婚すると、魁皇は初優勝を飾るなど成績が上昇し、大関へと昇進。

 

しかし、私生活の方では、子供に恵まれることはありませんでした。

 

その理由ですが、西脇充子はがんになったものの、卵巣は片方残っているといいます。

 

なので、妊娠できない体ではなかったらしいのですが、その当時はというと過酷で余裕のない日々。

 

子供ができるどころではない生活であり、あえて妊活もしなかったそうです。

 

そして、魁皇の引退後、浅香山部屋の女将となるわけですが、1年半前の50歳の時に乳がんが発覚。

 

記念にと、友達と受けたPET検査でがんが見つかったのだといいます。

 

そこで、現在の病状ですが、発覚したのは7ミリの早期乳がん。

 

乳がんのステージは、しこりが1ミリ~1センチを0期、しこりの大きさが2センチ以下で、リンパ節に転移がないのをI期としています。

 

おそらく、西脇充子の乳がんステージは0期で、転移もしていないと思われます。

 

ただ、その代わりに再び手術を受けることに。

 

乳がんでは、抗がん剤治療をする必要はありませんが、これから長い付き合いが待っていることに変わりありません。

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