菊池正の生い立ちや母親 父親 兄弟は?(栃木雑貨商一家殺害事件)2025最新

栃木雑貨商一家殺害事件の犯人 菊池正の画像事件

☆この記事はこのような人におすすめです。

・栃木雑貨商一家殺害事件の犯人、菊池正の生い立ちを知りたい。

・菊池正の家族(父親、母親、兄弟)に関して知りたい。

・栃木雑貨商一家殺害事件の場所、被害者に関して知りたい。

 

1953年(昭和28年)に起きた「栃木雑貨商一家殺害事件」。

 

その事件の犯人とされる菊池正(きくちただし)という男の名前を、知っているという人もいるかと思います。

 

最も菊池正に関しては「脱獄犯」といったことで有名ですが、果たして彼は本当に“ただの悪人”だったのでしょうか。

 

今回は、そんな菊池正の生い立ちや、父、母、兄妹との関係。

 

なぜ、菊池正はあのような道を選んでしまったのか?

 

事件の裏にあった人間らしさや、悲しさに目を向けてみたいと思います。

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栃木雑貨商一家殺害事件の犯人・菊池正の生い立ち

栃木雑貨商一家殺害事件の動機は、菊池正が母親の治療費を工面する為でした。

 

犯人の菊池正は、栃木県の南東部、芳賀郡市羽村(現在の市貝町)育ち。

 

もともと心優しい性格で知られていた人物で、近所の人たちからも信頼されるような存在だったとか。

 

近所の人たちは、菊池正のことを「真面目な青年」として見ていたらしく、人に尽くすことをいとわないタイプだったそうです。

 

なので、少なくとも事件を起こすまでは「信頼される存在」だった。

 

そんな菊池正の生い立ちですが、育った家庭環境は、両親が離婚するなどし、決して裕福ではなかったようです。

 

また、菊池正が成長していく中で、学校には行かず、働き詰めの生活を送っていたとか。

 

働きながら家計を支える、そんな暮らしの中で、やりたいことがあっても、「そんなの言ってられない」と、頑張っていたのかもしれません。

 

菊池正の生い立ちは、「誰かのために尽くす」という面と、「自分の感情を押し殺して生きてきた」という面の表裏一体だったように感じられます。

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菊池正の母親

母親のヨデさんは、菊池正が22歳の頃に白内障を患い、結局その後、盲目になったとか。

 

そんな母親を息子・菊池正は、とても大切にし、どんなときも「母親の為に」と考えていたようです。

 

事件後、脱獄という極端な行動に出た理由も、「どうしても母親に会いたかったから」。

 

これはもう、普通の感覚では理解しづらい部分かもしれません。

 

しかし、菊池正の行動を「母親を想う気持ちが強すぎた」と考えると、少しだけその気持ちの根っこが見えるような気がします。

 

「親孝行したかっただけかもしれないのに…」と、なんとも言えない切なさが残りますよね。

 

もしかすると、菊池正にとって母親は「心の拠り所」であり、逆に言えば、それ以外に寄りかかれるものがなかったのかもしれません。

菊池正の父親

菊池正の父親については、あまり詳しく語られてないようです。

 

分かっている事としては、酒癖が悪かったということ。

 

この事が原因で、両親は菊池正が2歳の頃に離婚。

 

離婚後、菊池正は母親のもとで育てられたということです。

 

そして、その後母親はひとりで家庭を支え、菊池正が5歳の頃に再婚しています。

 

しかし、再婚相手も母親にきつく当たったりしていたとか。

 

そんな姿を、幼い頃からずっと見てきた菊池正にとって、母親は“守るべき人”であり、“恩返ししたい人”でもあった。

 

結局、新しい家庭でも生活が貧しく、菊池正は働くしかなかったようです。

菊池正の兄と妹

菊池正の兄弟に関しても、あまり詳しく語られていませんが、兄と妹がいたそうです。

 

兄は実兄、妹は再婚相手の連れ子で、血縁関係なし。

 

ですが、菊池正にとって、妹は“守るべき存在”だったように感じます。

 

母親と同じように、「自分が頑張れば、幸せにしてあげられる」そんな思いがあったのかもしれません。

 

実際に盗んだ腕時計をプレゼントするなどしており、妹に対しては、きっと優しくて、怒ったりもしなかったんだろうな…と、なんとなく想像できます。

栃木雑貨商一家殺害事件の被害者

栃木雑貨商一家殺害事件の被害者は、雑貨店を営んでいた一家3人と使用人含めた4人。

 

この被害者については、当時の記録でも詳細がはっきりしていません。

 

菊池正の画像

 

ですが、4人も命を落としたというのは、本当に胸が痛くなる出来事だったと思います。

 

普段から地域の人に親しまれ、家族揃って営んでいたあたたかい店。

 

そんな場所が一瞬で“事件現場”になってしまったなんて、まさに悪夢ですよね。

 

「平和な町でこんなことが…」と思ってしまうのも無理はありません。

 

だからこそ、こうして語り継いでいくことに意味があるんだと思います。

栃木雑貨商一家殺害事件の場所

栃木雑貨商一家殺害事件が起きた場所は、栃木県の南東部、芳賀郡市羽村(現在の市貝町)。

 

現場となった雑貨屋は自宅兼店舗で、現在でいうと、コンビニと家が一緒になったような感じです。

 

1953年当時、周囲はのどかな田舎町で、近所同士が顔見知りなのが当たり前…そんな時代でした。

 

ただ、そんな平和な場所で、まさかあんな事件が起きるなんて、誰も思っていなかったはずです。

 

今でこそ「市貝町」という名前に変わっていますが、地域の人にとっては、あの日のことはきっと、今も記憶に深く刻まれているんじゃないでしょうか。

 

ちなみに「芳賀郡市貝町」、読めなかった方もご安心を。「はがぐんいちかいまち」と読みます。

 

ちょっと難読地名、あるあるですよね。

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