少し前になりますが、「奇跡体験!アンビリバボー」で1977年7月25日に起きた「群馬銀行員失踪事件」を特集していたことがあります。
この事件は、当初、銀行員が集金した金をそのまま持ち逃げした「失踪事件」として取り扱われました。
しかし、失踪から5年後の1982年12月18日、銀行員が絞殺死体となって発見されたのです。
発見された被害者は、当時、群馬銀行本店の渉外係だった45歳の男性。
45歳といえば、バリバリ働く世代で、家族は妻と2人の息子がいました。
そして、遺体が発見されたことから警察は、殺人事件として捜査。
犯人を追い始めて4日後の12月22日、群馬県警は群馬銀行員殺害の容疑で、練馬区のパチンコ店に住み込んでいた男を逮捕したのです。
そこで今回は、銀行員が突如行方不明になった「群馬銀行員失踪事件」の犯人の名前や、犯行動機、裁判での判決。
被害者の家族のその後などについて調査してみました。
群馬銀行員失踪事件の被害者の名前
この「群馬銀行員失踪事件」に関して、ネット上に詳しく書いている人はいません。
自分もこの事件のことを知らなかったのと、取り扱っているブログやサイトが少ないので、あまり有名な話ではないようです。
また、ネット上で見つかる記事は、ほぼ全員が作家・佐木隆三氏の著書『殺人百科 part 4』に書かれているのを参考にして掲載しています。
『殺人百科 part 4』の著者・佐木隆三氏はノンフィクション作家で、さまざまな刑事事件を題材にした小説を出版。
2015年10月31日、下咽頭がんのため78歳で亡くなっていますが、群馬銀行員が行方不明になった事件のことを『殺人百科 part 4』の中で書いていたのです。
そして、話変わって、事件の概要についてです。
著書によると、群馬銀行本店の銀行員が行方不明になったのは、1977年7月25日。
この日、銀行員は、集金を目的に取引先へ出かけたといいます。
しかし、帰社予定時刻になっても帰ってこないことを心配した同僚が、取引先の大手企業A社を捜索。
すると、乗って出て行った社用車が、取引先・A社の駐車場に停まっているのを発見します。
この「取引先の大手企業A社」というのが、著書では「日本生命前橋支社」と説明。
なお、後に被害者となって発見される群馬銀行員ですが、アンビリバボーでは名前を牧野(仮)としていますが、著書に名前は出てきていません。
そして、駐車場で車だけ発見するも、肝心の集金した金と銀行員共に消えていたのです。
集金額は、現金780万8721円と小切手44通(額面合計1033万6735円)のおよそ1800万円。
その後、群馬銀行は、銀行員が持ち逃げした可能性があると考えるも、警察には届けませんでした。
すると翌日、銀行員の妻が前橋署に、帰ってこない夫の捜査願を提出。
しかし、前橋署は、ろくに捜査もせず、集金した金を持ち逃げしたと判断したのです。
このとき、新聞も大金を盗んだ失踪事件として報道。
再度、妻は「夫が持ち逃げするはずがない」と訴えるも、警察は聞き入れなかったといいます。
被害者家族のその後と犯人の名前
群馬銀行員の持ち逃げが公になった後、家族の生活は一変。
その後の妻と2人の息子はというと、世間から嫌がらせやイジメを受けるようになります。
そして、現状に耐えられなくなった妻は、1981年8月27日、ついに自宅の寝室で自ら命を絶ってしまったのです。
その1年4か月後に、日本生命前橋支社ビルの重油タンク内で遺体が発見されます。
当日は、1967年に設置した重油タンクの清掃日で、係りが清掃中に絞殺死体となった銀行員を見つけたのでした。
この発見を機に行方不明でなかったことが判明し、群馬県警は殺人事件として捜査。
そして、パチンコ店員の男を逮捕したのです。
逮捕された犯人は当時43歳で、群馬銀行員の行方不明時の仕事は、日本生命前橋支社の社屋ビル管理人。
この男も妻子ある身で、当時は家族と管理人室に、住み込みして働いていたのです。
あと、犯人の名前ですが、著書によると「福田」という人物だったようです。
犯人の動機と裁判での判決
「群馬銀行員失踪事件」の犯人は、競輪や競艇といったギャンブルにハマって、サラ金などから500万円ほどの借金があったそうです。
また、その利息が毎月20万弱ということなので、ヤミ金などからも借りていたのでしょう。
当時の時代はヤミ金だらけで、借りると当然、返済に追われることになります。
結局、犯人の動機は金銭目的で、借金返済のために群馬銀行員を殴殺したのです。
犯人はその後、銀行員を日本生命前橋支社ビルの重油タンクに沈め、強奪した金で借金を返済。
残った金は、好きなギャンブルで使い果たしたのでした。
ところで、この犯人ですが、逮捕される前に一度自殺未遂を起こしています。
犯人は、銀行員を沈めたボイラー室で、体に導線巻いて感電死を試みるも失敗。
結局、家族に発見され、怪我しただけで終わっているのです。
その後、犯人は管理人の職を解雇され、家族と高崎市に移ったものの、ギャンブル癖は治まらず。
挙句に妻と離婚することになり、子供とも離れて暮らすようになったそうです。
兄弟からも見放された犯人は、離婚後、東京で職を転々とし、練馬区のパチンコ店で働いていたときに逮捕されたのです。
裁判は1983年9月26日、前橋地裁で開かれ、死刑求刑に対して無期懲役判決。
1984年12月19日、東京高裁でも検察側の控訴を棄却。
その後、犯人は上告せず、無期懲役刑が確定。
控訴審で裁判長は、「もう少し警察の念の入った捜査が行われれば、事件は早期に解決され、家族の悲劇は避けられたかもしれない」と指摘した。
殺人百科part4の著者の佐木隆三とは
佐木隆三氏は、実際の連続殺人事件をテーマにし、映画化もされた「復讐するは我にあり」で1976年に直木賞を受賞した作家。
八幡市(現北九州市)で育ち、八幡製鉄(現新日鉄住金)に勤めながら執筆活動を開始。
刑事事件やその裁判を題材にしたノンフィクション小説で広く知られ、テレビ番組のコメンテーターも務めた。
別府3億円保険金殺人事件をモデルにした「一・二審死刑、残る疑問―別府三億円保険金殺人事件」、富山・長野連続女性誘拐殺人事件をモデルにした「男の責任 女高生・OL連続誘拐殺人事件」などを発表。
88年から89年にかけて東京、埼玉で起きた連続幼女誘拐事件や地下鉄サリン事件などの裁判を傍聴して執筆した作品も数多く発表した。
99年に東京から北九州市に移住。
2006年11月から12年3月まで北九州市立文学館の館長を務めた。