神谷力(トリカブト保険金殺人事件)の生い立ちとトリックは?2024最新

トリカブト保険金殺人事件 神谷力の画像事件

☆この記事はこのような人におすすめです。

・1986年(昭和61年)5月20日に起きた「沖縄トリカブト保険金殺人事件」について知りたい。

・犯人・神谷力の生い立ちを知りたい。

・神谷力が妻に使ったトリックについて知りたい。

他にも神谷力の父親や母親のことなどを簡単にまとめています。

 

沖縄トリカブト保険金殺人事件の犯人は当時、沖縄へ旅行に来ていた神谷力(かみやちから)。

 

被害者は池袋のクラブで働いていた妻の利佐子さん(当時33歳)。

 

夫の神谷力は、トリカブトに含まれる毒成分「アコニチン」を妻の利佐子さんに飲ませて、かけていた多額の保険金をだまし取ろうとしたのです。

 

しかも、神谷力は利佐子さんと3度目の結婚で、これまで入籍した妻がいずれも不審な死を遂げていたことが発覚。

 

1人目と2人目の妻も同じ手口による「トリカブトの毒」で死亡させられた可能性が大きかったものの、結局、立件できたのは3人目の妻・利佐子さんだけでした。

 

そして、この「沖縄トリカブト保険金殺人事件」で逮捕された神谷力は、冤罪を訴えるも無期懲役が確定。

 

その後の神谷力はというと、服役後の2012年(平成24年)11月に病死したため、現在は生きていません。73歳没

 

そこで今回は、「沖縄トリカブト保険金殺人事件」の犯人・神谷力の生い立ちや父親、母親。

 

妻を死亡させるために使ったトリックなどについて調べてみました。

Sponsored Link

沖縄トリカブト保険金殺人事件の犯人は神谷力

神谷力と妻の利佐子さんは、「沖縄トリカブト保険金殺人事件」が起きる前日の1986年(昭和61年)5月19日、沖縄旅行のため那覇に宿泊していました。

 

そして、翌日の20日になり、事件が起きたのです。

 

この日は、利佐子さんがホステス時代の女友達3人と神谷夫妻で、沖縄・石垣島に行く予定になっていました。

 

ところが、夫の神谷力は、「急に仕事ができた」と理由をつけ、午後の便で大阪に帰ると言い出したのです。

 

仕方がないので妻・利佐子さんは、神谷力を残して女友達3人と石垣島に行くことに。

 

その後、神谷力と別れた利佐子さんと女友達は、無事石垣島に到着し、ホテルにチェックインします。

 

しかし、13時30分頃、妻・利佐子さんの体調に異変が生じ始めるのでした。

 

これまで何もなかった利佐子さんが急に吐き気やめまいを訴え、苦しみだしたのです。

 

その後、利佐子さんは搬送されることになるのですが、15時4分に担ぎ込まれた八重山病院で死亡。

 

この死を不審に思った八重山病院の医師が警察に通報したのです。

 

そして、解剖をすることになるのですが、結果的にはほとんど異常はみつかりませんでした。

 

よって、検案書に書かれた死因は「急性心筋梗塞」。

 

しかし、この診断は死に至った状況を説明するには不十分だったのです。

Sponsored Link

神谷力の1人目の妻

「沖縄トリカブト保険金殺人事件」の犯人・神谷力は、25歳の1965年(昭和40年)に1人目の妻と結婚しています。

 

1人目の妻の名前は恭子さん(当時21歳)で、職業は看護婦でした。

 

恭子さんは結婚して16年経った1981年(昭和56年)頃から体調不良を訴え、同年7月、病院で死亡。享年38

 

死因は心臓が突然止まってしまう不整脈で、夫の神谷力が恭子さんを病院に運んでいたのです。

 

ちなみに、神谷力は1人目の妻・恭子さんには、保険をかけていませんでした。

神谷力の2人目の妻

神谷力は、1982年(昭和57年)に2人目の妻と再婚しています。

 

名前はなつ江さんといって、神谷力の不倫相手でした。

 

神谷力は1973年(昭和48年)、同じ会社に勤めるなつ江さんと知り合って交際し、1人目の妻・恭子さんが死亡した1年後に結婚。

 

ところが、2人目の妻・なつ江さんも結婚当初から体調不良を訴えていたのです。

 

そして、1985年(昭和60年)9月、なつ江さんも急性心不全で急死。享年38

 

この時も神谷力が車に乗せ、病院に搬送するとともに、かけていた保険金1千万円を受け取っていたのです。

神谷力の生い立ち

ここからは、「沖縄トリカブト保険金殺人事件」の犯人・神谷力の両親や家族、生い立ちに迫ってみようと思います。

 

まず、神谷力には5歳年上の兄がいます。

 

父親の職業は、東北大学工学部の教授で、母親は教授夫人。

 

しかし、父親はある日を境に教授を辞職し、革新政党の活動に参加したのです。

 

そして、神谷力が小学3年の時、父親は占領軍の弾圧を受け、政治犯として収監されることになります。

 

残された家族は、たちまち貧乏生活になり、母親が働きながら子供を育てることになったのです。

 

そんな生活もつかの間、今度は母親が6歳年下の男性と不倫。

 

すると、神谷力が小学5年生の時、釈放された父親が戻ってくるも、母親は不倫相手と一緒になるために家庭を捨て、家を出て行ったのです。

 

家を出て行った母親はその後、不倫相手に捨てられたことを苦に、大量の睡眠薬を飲んで自害。

 

母親の死後、父親と兄は革新政党の活動で家計をまかなっていましたが、とうてい生活ができるレベルではありませんでした。

 

そのため、神谷力は小学5年の終業と同時に工場に住み込みで働きながら学校へ通ったということです。(最終学歴=仙台市立仙台高等学校卒)

神谷力が妻を死亡させるために使ったトリック

「沖縄トリカブト保険金殺人事件」の被害者となった3人目の妻・利佐子さんには、大手保険会社4社(住友生命、三井生命、明治生命、安田生命)総額2億1000万円にものぼる巨額の生命保険がかけられていました。

 

しかも、当時の神谷力は収入ゼロの無職。

 

月40万円弱もの保険料を払える立場ではなかったのです。

 

要するに神谷力は、消費者金融から借金をして保険料を支払っていたわけですが、犯行の動機も多額の借金だったとされています。

 

そして、利佐子さんにかけられていた保険金は結局、支払われることはありませんでした。

 

ですが、神谷力はどうやって妻を死亡させたのか?

 

そのトリックは、「トリカブトの毒」と「フグの毒」を併用させたカプセルだったのです。

 

そもそもトリカブトの毒「アコニチン」は、耳かき1杯程度で人を殺すほどの威力があるとされています。

 

しかし、2つの毒を併用した場合、トリカブトに含まれる毒・アコニチンがフグの毒・テトロドトキシンに相殺。

 

その後は、時間が経つにつれてフグの毒・テトロドトキシンが体内から消失し、トリカブトのアコニチンの毒性が発揮されるというわけです。

 

このトリックを使った神谷力は、トリカブトに含まれる毒・アコニチンと、フグの毒・テトロドトキシンを混ぜたカプセルを「強壮剤」と言って、利佐子さんに渡していました。

 

そして、そのカプセルを飲んだ利佐子さんが被害者となったのです。

 

実際に、裁判でも解剖を行った医師が、「トリカブトによる中毒死」と死因について証言しています。

 

また、保存されていた血液からもトリカブトの毒「アコニチン」が検出されたのでした。

Sponsored Link
タイトルとURLをコピーしました