筧千佐子の娘と若い頃の写真!息子や生い立ちは?(2024最新)

筧千佐子の画像事件

筧千佐子は再婚した夫や、交際相手の高齢男性などに青酸化合物を飲ませて殺害。

 

この事件の裁判員裁判の論告が京都地裁で行われ、検察側は死刑を求刑しました。

 

筧千佐子は、これまで開かれた裁判員裁判の被告人質問で、犯行を認める説明をしたかと思えば否定するなど、回答は二転三転。

 

弁護側は、「筧千佐子被告が認知症により、責任能力がない」などと、一貫して無罪を主張してきました。

 

しかし、検察側は「犯行当時、認知症は発症しておらず、現在は軽症。責任能力や訴訟能力があるのは明らか」と述べたのです。

 

翌日は、弁護側の最終弁論と筧千佐子の最終意見陳述が行われ、裁判の審理は結審。

 

そして、11月7日、京都地裁による一審判決で、筧千佐子に死刑判決が下されたのです。

 

検察側が「まれに見る凶悪で重大な事件で極刑はやむをえない」と死刑を求刑するように、筧千佐子は、1994年に最初の夫と死別した後、約20年間で3人と再婚。

 

内縁関係になった男性から多額の遺産を受け取っています。

 

その額は10億、20億円ともされており、青酸化合物を飲ませて手に入れた金は、借金返済や株、FXなどに投資。

 

現在はすべて使い切り、預金はゼロに近いということです。

 

そんな筧千佐子は、「後妻業の女」や「毒婦」と呼ばれていますが、再婚した夫も含めて、被害に遭った男性をどうやって落とし入れたのか?

 

報道によると、相手は高齢男性ばかり。

 

そこには、筧千佐子のさまざまな恋愛テクニックが用いられていたといいます。

 

そこで今回は、連続殺人犯・筧千佐子の生い立ちや、若い頃に出産した娘と息子のこと。

 

また再婚した夫などを落とし入れた、恋愛テクニックなどについてまとめてみました。

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筧千佐子の生い立ちと娘 息子

筧千佐子が関与しているとされる「青酸連続殺人事件」は、2007年から2013年にかけて、京都、大阪、兵庫の近畿3府県で起きました。

 

2013年12月28日は、京都府向日市の自宅で筧千佐子の夫、筧勇夫さん(当時75)が死亡。

 

勇夫さんの死因を明らかにするため、遺体を司法解剖に回した結果、青酸化合物が検出されたのです。

 

このことがきっかけとなり、逮捕につながり、相次ぐ不審死が判明。

 

これまで筧千佐子と再婚した夫や、交際相手の男性が次々と死亡していたことがわかり、多額の遺産を手にしていたことも分かったのです。

 

亡くなった勇夫さんは、4番目に結婚した夫でした。

 

あと、籍を入れていない内縁の夫や交際男性らは、生前、公正証書や遺言を書いており、遺産が筧千佐子の手に渡る“準備”が周到になされていたといいます。

 

また、夫の勇夫さんが亡くなる前後にも、冷静に次のターゲットを探して婚活に励んでいたのです。

 

いかなるときでも動じない、筧千佐子とは一体どんな人物なのか?

 

その生い立ちですが、筧千佐子は長崎県出身。

 

1946年11月、未婚の母の元に生まれ、すぐに福岡県八幡市(現北九州市)の山下家に養女に出されています。

 

出身高校は福岡の名門・県立東築高校。

 

卒業後、学校から国立大への進学を薦められたらしいのですが、家族の反対で福岡の大手都市銀行に就職。

 

数年後の22歳のとき、鹿児島県内を旅行中、大阪に住む男性と知り合い、交際を開始します。

 

そして、1969年3月に勤め先の銀行を退社した筧千佐子は、双方の実家の反対を押し切って結婚。

 

大阪府貝塚市に移り住んだ後、1970年に長男(息子)、1971年に長女(娘)を出産しています。

 

一方、結婚した夫は印刷会社を設立し、経営に励むも、あまり上手くいかず経営難に陥ります。

 

そんな中、1994年9月に夫が病気で死亡。

 

約2000万円の借金を、筧千佐子が背負うことになったのです。

 

夫に先立たれた筧千佐子は、それでも実家や友人などから借金をして経営を続けますが、結局、2001年に廃業。

 

土地と建物は競売にかけられてしまうのですが、このころから筧千佐子は、いろんなところの結婚相談所に登録し、交際相手を探すようになっていたのです。

 

その後は、男の出入りが激しくなり、3度の再婚。

 

内縁関係になった相手まであわせると、10人以上にのぼるということです。

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筧千佐子のテクニック

筧千佐子の生い立ちは、名門学校を出て優等生。

 

就職も良いところに入社した後、結婚、出産と、幸せな人生を送っていました。

 

しかし、夫に先立たれ、借金を背負ってから変貌します。

 

合計20以上の結婚相談所に会員登録し、遺産目的のために、資産家の高齢男性ばかりを狙ったのです。

 

さらに、4番目の夫、筧勇夫さんが亡くなった後も、筧千佐子は交際中だった男性複数人と、密会を重ねていました。

 

なぜ、男性らは筧千佐子にハマっていったのか?

 

元交際男性が、筧千佐子の落としのテクニックを証言しています。

 

この男性は結婚相談所に登録し、後妻を探し始めたときに、筧千佐子を紹介されたそうです。

 

男性によると、筧千佐子は、結婚については死別した夫だけとウソをつき、九州の名門高校から都銀に勤めた元銀行員などと、何度も自身の生い立ちを語っていたといいます。

 

また、胸元が大きくあいた服で、色仕掛けもあったとか。

 

しかも、満足させるほどのテクニックを持っていて、一度関係を持つと離れられなくなってしまうというのだから驚きです。

 

さらに筧千佐子は、交際が始まる前後は、相手の家に押しかけて自慢の手料理を振る舞うといい、その次はメール攻勢。

 

メールでは『あなたが大好き』、『早く逢いたい』などといった文章を送り、会ったときには手を握りしめ、「あなたのような素晴らしい人に会えて幸せ」と、しなだれかかったといいます。

 

結局この男性は家族に反対され、事なきを得たようですが、筧千佐子のマメさと色仕掛けのテクニックで、高齢男性でもハマッてしまうそうです。

殺人罪などで起訴されている4件の被害者

京都府の筧勇夫さん(75)夫

大阪府の本田正徳さん(71)内縁の夫

兵庫県の末広利明さん(79)知人

兵庫県の日置稔さん(75)内縁の夫

筧千佐子の若い頃の写真と夫

筧千佐子の若い頃は、故・野際陽子さん似の美人だったといい、最初の夫との間に娘と息子の2人の子供をもうけています。

 

(筧千佐子の若い頃の写真)
筧千佐子の若い頃の写真

 

1994年に最初の夫と死別した後は、再婚する度に本籍を変更して、以前の結婚歴を隠すなど、隠蔽工作をして寂しい未亡人を装っていました。

 

さらに、筧千佐子は、相手をだますときに子供を利用し、「夫とは死別した。」、「病気で先立たれた」、「今は娘の嫁ぎ先に厄介になっていて、いつ放り出されるかわからない」などと話していたといいます。

 

筧千佐子の結婚暦

1人目の夫=大阪の男性、1969年に結婚、1994年9月に病死。

2人目の夫=兵庫県の薬品販売業の男性、2006年に結婚、同年8月28日に脳梗塞で死亡。

3人目の夫=農家の男性と2007年に結婚、2008年5月17日に心筋梗塞で死亡。

4人目の夫=京都府向日市の筧勇夫さんと2013年11月1日に結婚、同年12月28日に青酸中毒死。

 

また、息子に関しての報道はあまり出ていませんが、娘の方は自分の母親が多くの高齢男性と交際や結婚を繰り返し、相手が次々と死亡していることをいっさい知らなかったとか。

 

ちなみに4番目の夫と筧千佐子が知り合った結婚相談所は、特定されています。

 

場所は奈良県にあるといい、代表者の女性は、今回の事件についてこのように答えています。

「まさか、彼女がそんなことする人だったなんて、今でも信じられないんです。プロフィール文には、『趣味は読書、ガーデニング、お料理です』とか、『お相手に合わせる思いやりの気持ちを持っています』とか書いていて、優しいかたにしか見えなかったので…。」。

 

この結婚相談所は、入会金はなく、月会費が3000円。

 

身分証があれば誰でも入会できるそうです。

 

そして入会すると、会員だけが閲覧できるサイトにアクセスでき、会員の写真やプロフィール文を見て会いたい人がいれば、対面希望を相談所に申し込むという流れになっています。

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