別府昇(名古屋立てこもり放火事件)の家族や支店長の名前は?

名古屋のビル画像事件

令和になって起きた「京アニ放火事件」は記憶に新しいところですが、平成にも最悪の立てこもり放火事件がありました。

 

それは、2003年(平成15年)9月16日、名古屋のビル4階で起きた「名古屋立てこもり放火事件」です。

 

この「名古屋立てこもり放火事件」は、立てこもった運送会社の契約ドライバーだった別府昇元容疑者(当時52)が、労働条件をめぐるトラブルが原因で、会社の支店長ら8人を人質にとって、放火。

 

京アニ放火事件ほどの死亡者は出ませんでしたが、犯人の別府昇元容疑者を含む3人が死亡、41人が負傷したのです。

 

そこで今回は、「名古屋立てこもり放火事件」の犯人・別府昇元容疑者の家族や、人質になって命を落とした支店長。

 

もう1人の被害者、愛知県警機動捜査隊員の名前などについて調査してみました。

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名古屋立てこもり放火事件の犯人は別府昇

「名古屋立てこもり放火事件」が起きた現場は、大曽根駅から歩いてすぐの名古屋大曽根第一生命ビル4階。

 

当時の住所は、愛知県名古屋市東区東大曽根町本通で、現在は名古屋市東区矢田1-3-33です。

 

4階には、運送会社「軽急便」の名古屋支店のオフィスがあり、犯人の別府昇元容疑者は、この会社と同年1月に契約し、3月から契約ドライバーとして働いていました。

 

(犯人の別府昇元容疑者)
別府昇の画像

 

しかし、仕事が全然無く、「定期的な収入がほしい」などと、たびたび同社に訴えていたそうです。

 

それでも結局、要求は受け入れてもらえず、別府昇元容疑者の不満がついに爆発。

 

2003年(平成15年)9月16日の午前10時過ぎ、4階にある「軽急便」のオフィスに、144リットルという大量のガソリンを持ち込み、支店長ら8人を人質に立てこもったのです。

 

立てこもった別府昇元容疑者は、その場にガソリンを撒いて、未払いの報酬25万円を要求。

 

その後、駆けつけた警察の説得に応じて、支店長以外の従業員7人を解放しましたが、持っていたライターでガソリンに火をつけたのです。

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名古屋立てこもり放火事件の被害者(支店長)の名前

別府昇元容疑者がガソリンに火をつけたことで、現場が爆発。

 

窓ガラスが砕け散り、オレンジの火柱が上がるシーンは、これまで何度もテレビで取り上げています。

 

この爆発で、犯人の別府昇元容疑者が死亡。

 

そして、人質に残った支店長が命を落としました。

 

亡くなった支店長の名前は、吉川邦男さんで、当時41歳。

 

働き盛りだった吉川邦男支店長は、この「名古屋立てこもり放火事件」で被害者となったのです。

 

また、もう1人「名古屋立てこもり放火事件」で命を落とした人がいます。

 

その人の名前は、愛知県警機動捜査隊員の村瀬達哉巡査長(当時31歳)。

 

村瀬達哉機動隊員は、最前列にいて、突入のタイミングを見計らっていたのですが、煙にまかれて命を落としたのです。

 

ちなみに、爆発した「軽急便」のオフィスは現在、UR都市機構の大曽根住まいセンター(大曽根住宅管理センター)が入所して、営業しています。

別府昇の家族

別府昇元容疑者は大阪の出身で、地元の中学校を卒業後、名古屋に出てきていたようです。

 

その後、名古屋で知り合った女性と結婚。

 

結婚当初は、市内にある妻の実家で生活し、長男と長女をもうけたということです。

 

また、別府昇元容疑者は事件前日、家族に迷惑をかけまいと、妻に離婚届を突きつけていたのだとか。

 

別府昇元容疑者の子供は、事件当時、長男は22歳で社会人。

 

長女はまだ高校3年生だったそうです。

 

しかも、生活が苦しく、妻はパート勤め。

 

別府昇元容疑者は家族を養うために、軽急便の仕事以外に新聞配達をはじめていたといいます。

別府昇の経歴

「名古屋立てこもり放火事件」の犯人・別府昇元容疑者は事件の7年前に、市営住宅に引っ越し。

 

理由は、妻の母親とのトラブルが自宅を移る原因になったようです。

 

また、引っ越しの3年ほど前から、自律神経のバランスを崩し、睡眠薬を服用するようにもなっていたという情報もあります。

 

一方で、会社での働きぶりは「おとなしくて、まじめ」と評判だったとか。

 

しかし、就職しても会社に長くとどまることができなかったそうです。

 

堅物で融通の利かない別府昇元容疑者が就職した会社は、実に36年間で6社。

 

そんな働き方が、年齢とともにきつくなってきたのは想像に難くありません。

 

まして不況風は年々強まり、当時の企業は業績不振で、リストラが日常化していたのです。

 

そんなとき、別府昇元容疑者は、「安定した収入が確保できます」と書かれた「軽急便」のポスターを見て、ドライバーになることを考えたといいます。

 

そして、事件があった年の1月、会社の説明会に出かけ、「月収30万円~50万円は保証」、「車1台で簡単経営」といった言葉に背を押され、転職したのでした。

 

問題の軽急便は、1986年設立の運送会社で、当時の長引く景気低迷をもろともせず。

 

着実に業績を伸ばし、完全フランチャイズ制によって成り立っていたといいます。

 

つまり、別府昇元容疑者は、会社と雇用契約していたのではなく、独立したフランチャイズ店として運送委託の契約を結んでいたのです。

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