☆この記事はこのような人におすすめです。
・元プロテニスプレーヤー・杉山愛の夫について知りたい。
・杉山愛の子供について知りたい。
・夫の父親について知りたい。
元プロテニスプレーヤーであり、解説者でもおなじみの杉山愛が第2子を妊娠したそうです。
杉山愛は、34歳の2009年に現役引退し、36歳の2011年に一般男性と結婚。
年齢的なことを考え、結婚後すぐに妊活をスタートさせています。
そして、産婦人科の医師からすすめられた「タイミング法」を開始して、2ヶ月後に妊娠。
待望の第1子を授かり、歓喜していた夫妻でしたが、妊娠5週目で流産してしまったのです。
その後は、人工授精、体外受精と、ふたたび妊活を続け、39歳のときに妊娠が発覚。
一度、流産を経験していたこともあり、不安もあったそうですが、2015年7月8日、40歳のときに男児を無事出産しています。
その第1子となる子供ですが、過去に「はじめてのおつかい!夏の大冒険スペシャル」に出演しているので番組を見て知っている人もいるかと思います。
息子の名前は、悠(ゆう)くん(収録時の年齢=3歳8ヶ月)。
過去に流産がなかったら、夫妻にとって2人目の子供ということになります。
そこで今回は、杉山愛が不妊治療の末授かった第1子の出産経緯や、夫の職業、夫の父親とケニアの関係などについてまとめてみました。
杉山愛の夫の職業
杉山愛の夫(旦那)ですが、名前は小林走(そう)さんと言います。
夫の小林走さんは、再婚ではなく初婚。(杉山愛も初婚)
また、ケニアで生まれ育ったため、最初に出会ったとき、嫁である杉山愛のことを知らなかったそうです。
そんな小林走さんの職業は、元プロゴルファー。
プロゴルファーを辞めた後は、海外育ちでスワヒリ語や英語がペラペラということもあり、女子プロゴルファー・上田桃子のマネジャーを務めたこともあります。
そして、上田桃子のマネージャーを辞めた後は、元プロゴルファーの才能を生かして、レッスンプロに転職。
現在、夫はレッスンプロであるとともに、嫁・杉山愛のマネージャーを務めているということです。
杉山愛の夫の父親はケニアでマラソン選手を仲介
杉山愛の夫・小林走さんの父親は、ケニアなどでマラソン選手を日本へ送り込む仕事をしています。
夫の父親の名前は、ケニヤッタ小林こと・小林俊一氏。
小林俊一氏は、34歳のときにケニアへ渡り、以来、ケニア人ランナーを日本の高校や大学、実業団チームに仲介しているのです。
いわゆるブローカーみたいなものですが、代理人の先駆けとして、その業界ではちょっと名前が知られています。
ただ、父親の小林俊一氏いわく、自身は陸上選手としては、超二流とのこと。
一応、横須賀高校時代に、陸上をしていたらしいのですが、その後は、早大に入学し、卒業後にサントリーへ入社。
サントリーでは、営業マンとして勤務していたくらいなので、陸上選手としては活躍していないのです。
そんな小林俊一氏ですが、代理人としてこれまでに、北京五輪男子マラソン金メダルのサムエル・ワンジルや、アトランタ五輪銅、シドニー五輪で銀メダルを獲得したエリック・ワイナイナといった、約50人のケニア人を日本にあっせんしています。
そういった商売をしているので、自分の息子をマラソンにかけて、「走」という名前にしたのだと思います。
杉山愛の子供(息子)は2人目?
現在の杉山愛は、テニスアカデミー「パーム・インターナショナル・スポーツ・クラブ」の代表を務めるほか、コメンテーター、解説者としてテレビなどで活躍しています。
現役時代は、シングルス6勝、ダブルス38勝の44勝を挙げ、生涯獲得賞金10億円以上。
プロテニス女子のランキングでも、2000年にダブルスで自己最高1位、2004年にシングルスで自己最高8位にまで上り詰めたのです。
そうして若い頃の杉山愛は、華々しい成績を挙げ、まさしく1流選手だったわけですが、年齢を重ねるたびにパフォーマンス力が低下。
次第に自分の限界を感じていき、34歳のときに引退したのです。
そして、引退してから2週間後、現在の夫と出会うことになります。
当時の杉山愛は彼氏なし。
結婚歴もないので、元夫もいません。
小林走さんとの馴れ初めは、ゴルフのプロアマ大会がきっかけだったそうです。
当時の杉山愛は、プロアマ大会に出場するために、ゴルフを習える人を紹介してもらったのだとか。
その相手が現在の夫で、当時ゴルフのレッスンプロ(コーチ)をしていたのです。
そうして出会った2人は、すぐに交際を開始し、2年後に結婚したというわけです。
そこから夫婦は、協力し合いながら不妊治療を開始。
といっても、最初に夫婦は産婦人科で検査したらしのですが、結果的に2人とも問題なかったとか。
それでもすぐに妊娠できるようにと、医師から「タイミング法」をすすめられたのです。
結果、冒頭にもあるように「タイミング法」が上手くいき、開始2か月後に妊娠。
しかし、妊娠から5週目に流産してしまったのです。
その際、夫婦は落ち込みましたが、「いつまでもくよくよしてても仕方がない」、「今回は縁がなかった」と気持ちを切り替え、今度は「人工授精」にチャレンジ。
結局、4回トライしても妊娠しなかったため、「人工授精」をあきらめることになります。
そして、杉山愛は、ここで一つの決断をします。
それは、当分の間、不妊治療を休むこと。
ただし、治療を休む代わりに、体質改善に取り組んだのです。
杉山愛が取り組んだのは、体を温めたほうが妊娠しやすいということから、「びわの葉温灸」に通ったり、ベリーダンスを習ったことだったそうです。
さらに、食生活にも、妊娠のために良いといわれるもの積極的に採取。
このような生活を1年半ほど続け、最後の手段として「体外受精」を決断します。
そして、この決断が幸運にも体外受精1回目で妊娠に成功。
その後は順調な経過をたどり、2015年7月8日、40歳のときに息子の悠くんを無事出産したのです。
ちなみに、悠くんは、夫婦が苦労して授かった2人目の子供で自宅は神奈川県の茅ヶ崎市にあります。
(杉山愛の息子・悠くん)
その悠くんが出演した「はじめてのおつかい」ですが、頼まれた商品を買ってしまったりと、すんなりと行かなかったようです。